学校特有のいじめの性質
どうも西之園です。
今回は前回に引き続きいじめについてです。
さて、前回はどうしていじめが起こるのか説明しました。
今回はいじめる側の心についてもう少し詳しく話していきます。
学校でいじめが起きた場合、いじめるグループ、いじめられる個人、傍観者に分かれます。
ときには傍観者がいじめる側になることもあります。
その時いじめる人の心はどうなっているのか。
前回話した通り、いじめは環境のストレスからくるものです。
そのストレスとは学力不振や劣悪な家庭環境、そして自分がいじめられる不安や集団に居場所がなくなる不安などのコンプレックスがあります。
そのコンプレックスをいじめる側にぶつけるのです。
特に学生時代は集団に居場所がなくなる恐怖がとても強くなる時期です。
だから、いじめる側を孤独にしようとします。
「あいつと話すな」「あいつと仲良くするな」と。
集団から居場所がなくなったいじめる対象を攻撃することにより
「もしかしたら居場所がなくなったかもしれない自分」をいじめる対象に投影、つまり擦り付けることで安心しようとするのです。
前回話した笑われる対象に仕立て上げるのも同様です。
自分が笑われることを恐れるがため、いじめる対象を笑われるように仕立て上げ、自分の不安を擦り付けるのです。
そしていじめは続きます。いじめる側はやめることができないのです。
辞めてしまえば今度は自分がスケープゴートとして集団から居場所を失い笑いものにされる恐れがあるからです。
いじめる側は孤独がひどく怖いのです。そして周りからの評価に敏感なものです。
学生生活では独自のカーストも存在します。
いじめる側は相対的に上位に位置し、いじめられる側は相対的に下位となります。
いじめる側はカーストの下位にならないように必死なため、いじめることによりカーストの位置を上げようとします。
それもまた学校独自のいじめの原因になっています。
逆を言えばいじめる側はいじめる対象に依存していることになります。
いじめることにより自分の心の安寧を保っています。自分一人では心を壊してしまう弱い人なのです。
いじめに対して一人で戦っているいじめられる側よりよっぽど心が弱いのです。
もしいじめられている人がいたら自信を持ってください。あなたはいじめている人たちよりよっぽど強い心を持った人です。
諦めずに戦う人を「強い人」といいます。戦い続ける強い心を持ったあなたを自分は尊敬します。
というわけで今日はここまで。
ではではー。